やっぱりバドミントンは燃えますね・・・。
私は小学校から高校まで、青春をバドミントンと共に歩んだので
オリンピックで見るとめっちゃ楽しいです。
バドミントンはオリンピック以外、あまりテレビで映りませんから。
さて、YLSですが8期が走り始めて約2週間経ちました。
優等生もいれば、なかなかまだ進んでないように見える人もいますが、
1ヶ月目って状態がどうであれ誤差範囲なので
気楽に行きたいなーと経験上思っています。
(本人たちはヒーヒーだと思いますが)
そもそも学生以来何かを短期でガーーっと勉強することってないですから、
勉強のペースを取り戻すだけでも結構大変です。
えぇ、それはよくわかっていますよ。
でも、「大変だよねー自分のペースでいいからゆっくり行きましょうねー」
だと、変化はなかなか起きないので、心を鬼にしなくてはいけないんです。
時々この仕事向いてないかな・・・って思うんです。
生来私は温厚な性格なので、心を鬼にするの不得意です。
ワンちゃんにもついつい甘い顔をしてしまいます。
でもYLS1ヶ月目と3ヶ月目の終わりはどうしても乗り越えて欲しい。
だから今日も心を鬼にして頑張ります。
こういう葛藤が生じる時、いつも思い出すことがあります。
お盆休みの土曜日なんて、誰もこのメルマガ読んでないでしょうから、
私の思い出話をしたいんですが・・・・。
私は実は、泳ぎが不得意なんです。
めっちゃ頑張って50メートルまでいけるか?な感じです。
そもそも、何度もトライしたんですが水に浮く気が全然しないんですよ。
運動は全般的に得意なんですが、水泳だけはどうしてもダメ。
でも私は大学に推薦入試で行きたかったので
高校ではどうしても体育でもオール5をとる必要があったんです。
しかし、高校2年生の1学期の5の条件は
クロールと平泳ぎで50メートル泳ぎきること。
あぁ、終わったな・・・と思いました。
が、当時体育担当のT先生がすごく厳しい先生で
逃げようとする私をとっ捕まえてくれたんです。
「横山、お前なら出来る!」
ってガチで何度も言ってくれました。
それから水泳の時間は猛特訓です。
それでもなかなか25メートルを超えると無理でした。
でも先生諦めず。
学期末の検定の日、それまで50メートル泳ぎ切ったことはなかったですが、
T先生が泳ぐ私に、プールサイドを歩きながら檄を飛ばし続けてくれました。
50メートルずっとです。
横山ーがんばれー、もうちょっとだー。
横山ーがんばれー、もっと手と足を伸ばせー
横山ーがんばれー、落ち着いて息をしろー
水中で必死にもがきながら、その先生の怒号が耳に入ります。
もう息が苦しい、立ってしまおうかな。。。
100回くらい頭をよぎりましたが、あと1かき、あと1かき・・・
で生まれて初めて50メートルを泳ぎきれたんです。
自分でもびっくりでしたが、檄を飛ばしてくれた先生が
ちょっと涙目で感動していたので、私もすごい感動しちゃったんですよね。
(そこで泣く余裕は全くありませんでしたが笑)
あの瞬間は私にとってすごく大きかった。
進学校だったので、適当に5でもつけて
いい大学に推薦で入った方が学校としてもメリットあるはずです。
でもその体育の先生はガチンコで私に向き合ってくれました。
私は小学校からずっと泳げない子でしたが、
私の水泳にここまで向き合って、信じて励ましてくれた先生は初めてでした。
生活指導とかも厳しい先生だったので、
生徒からは恐れられていましたが、私は本当に感謝しています。
これこそが教職なんだな、と卒業して何年経っても思います。
なんかカッコつけるつもりはないですが、
物事は何であれ、辛くて逃げたくても
どうしてもやりきらなくてはいけない瞬間ってありますよね。
私はYLSとかセミナーや教材を通して、
その瞬間に生徒が逃げても逃げないで向き合う人間になりたいといつも思っています。
だって、T先生にそうしてもらって本当に自信がついたから。
追伸:
ちなみにT先生にはしっかりいい成績をつけてもらいました。
おかげで高校3年間、バッチリ成績を確保し、
千葉大に現役推薦で合格できました。
追追伸:
最近学生時代のことをよく思い出します。
本当に教職って尊い仕事ですよね。
あと、社会人になってからは病院のドクターと
たくさん仕事をさせてもらったのですが、
本当に人々の健康のために寝る間を惜しんで
尽力されている素晴らしい医師がたくさんいらっしゃいます。
診察、手術、研究、論文執筆。
食事もする暇なし、睡眠はもちろん数時間。
8時間ぶっとうし手術の後に、アポイントに爽やかに現れる先生もいました。
「Yukiさん寝ないでよくできますねー」って言われますが、
あの先生方の姿を見ているので、眠いなんて言えないんですよね